新しいリケッチア性疾患としてのエーリキア症(第19巻、4号)
1998年4月
近年、新しいリケッチア性疾患であるヒトのエーリキア症が新興感染症として世界的に関心を集めるようになってきた。本症の起因菌であるエーリキア(Ehrlichiaエールリッヒア)属はリケッチア科に属するグラム陰性の細胞内寄生体で、現在、3グループ15種が明らかにされており、本来家畜(馬、牛、羊、山羊、犬)の病原体としてとして認識されてきた。エーリキア症が人獣共通感染症の1つとして注目されるようになった発端は、1986年にアメリカのデトロイトの病院において熱性疾患患者から犬のエーリキア(E.canis)を確認したとの報告にはじまる。患者はアーカンサスに住む51歳の男性で、ダニに刺された後、発熱、頭痛、筋肉痛、錯乱等の症状を呈して入院した。末梢血の電子顕微鏡検査で白血球細胞内にエーリキア様粒子が、また、患者血液中にE.calis抗体が見いだされたことによりE. canisの感染が確認された。しかし、本例はその後、E. canisによるものではなく、新種のエーリキア(E.chaffeensis)を病原とすることが明らかにされた。本症は病原体が単球系細胞内で増殖することからヒト単球性エーリキア症と呼び、これまでにアメリカのCDCの血清学的調査によってアメリカ30州で400名以上の症例とその致死率は2〜3%であることが確認されている。
さらに、1993年にアメリカのミネソタおよびウイスコンシン州で馬エーリキア(E.equi)と同一の病原体による感染症が見つかり、患者12名と2名の死亡者が報告された。症状はE.chaffeensisによるものと類似するが、二次感染が顕著である。この病原体は顆粒球内で増殖することから、HGE(Human granulocytic Ehrlichia)と呼び、これによるヒト顆粒球性エーリキア症は以後アメリカで170の症例が判明している。上記二種のヒトのエーリキア症はそれぞれ異なったダニ類が媒介し、その刺咬により感染発病するが、エーリキアの自然界の保菌動物(reservoir)は野性の鹿と推測されており、近年の流行の背景には鹿の天敵である狼の激減により鹿の数が急増したことも原因の一つと考えられている。
エーリキアに関する研究は主としてアメリカで行われているが、最近わが国においても一部の研究機関で調査研究がなされるようになった。1983年に名古屋市衛研により愛知県の山中で捕獲された野鼠の調査からマウス感染性因子を分離、後に新種のエーリキアであることが判明し、E.murisと命名されている。当所においても名古屋市衛研との共同研究で1992年以降、東京西多摩郡の山中で捕獲された野鼠から10株のE.murisが分離されている。さらに最近、青森、福島、徳島のダニ類からも類似の感染因子の存在が明らかとされていることから、広範に分布していることが示唆される。E.murisは性状並びに16 S rRNAの塩基配列の比較からE.chaffeensisと最も近縁であるが、ヒトへの病原性の有無は明らかでない。実態調査とともに今後の検討課題であろう。
これまでの調査からエーリキア症の症状は発熱、不快感、筋肉病、頭痛等があり、発疹を伴う場合もあるが、臨床症状としては余り特徴的でない。検査所見では、血小板あるいは白血球数の減少、トランスアミラーゼ値の増加等がある。治療にはテトラサイクリン系抗生物質が有効とされるが、持続感染をおこす場合もある。
上述のごとくエーリキアに関する研究の歴史は浅く、臨床、基礎とも未開の分野が多い。また、わが国の研究はやっと緒についたばかりであり、今後の研究の拡大、進展が望まれる。