Clostridium butyricum による本邦初の乳児ボツリヌス症(第27巻、3号)
2006年3月
乳児ボツリヌス症は,腸管細菌叢が安定していない1歳未満の乳児がボツリヌス芽胞に汚染された食品等を摂取した場合,下部腸管内で芽胞が発芽・増殖する際に産生するボツリヌス毒素により発症する.主症状は吸乳力の低下,便秘,筋力低下等で,死の転帰をとることはほとんどない.起因菌は主にA型,B型ボツリヌス菌( Clostridium botulinum )であるが,ごく稀にE型毒素産生性 Clostridium butyricum ( C. butyricum )やF型毒素産生性 Clostridium baratii による症例もあり,諸外国で報告されている.
わが国において,1986年以降現在までに20例の本症が報告されているが,今回経験した症例を除いてすべてボツリヌス菌によるもので,毒素型は大部分がA型である.1987年までの10症例すべてで,感染源(原因食品)としてハチミツの関与が認められたため,1987年厚生省(当時)は「1歳未満の乳児にはハチミツを与えないように」と通知を出した.その後1989年に2例のハチミツ摂取歴のある症例が報告されたが,それ以降,ハチミツに摂取歴のある乳児ボツリヌス症は報告されていない.その後の8症例で原因食品が推定されたものは,自家製野菜スープ(1996年東京都)のみである.
2004年12月,呼吸困難,意識障害を主症状として都内の病院に入院した9ヶ月男児について細菌学的・毒素学的検査をした結果,便からE型ボツリヌス毒素と同毒素産生性 C. butyricum が検出された.以下,本邦初の C. butyricum による乳児ボツリヌス症の概略を紹介する.
患児は入院当初,主症状に加え,眼瞼下垂,便秘,四肢筋力低下等も認められた.本症以外にも,ギランバレー症候群や重症筋無力症の疑いがもたれたが,抗ガングリオシド抗体陰性やテンシロンテスト陰性等であることから両者は否定された.この結果に加え,臨床症状と特異的な筋電図(50Hz反復刺激法)の結果から,乳児ボツリヌス症が強く疑われた.そこで,患児血清とふん便が当研究センターに搬入され,ボツリヌス菌検査を実施した.2及び3病日の血清と3及び5病日のふん便上清のマウス腹腔内接種試験において,ふん便上清投与群のみがボツリヌス毒素の典型的な症状を呈した.更に,中和試験の結果,本毒素はE型ボツリヌス毒素と同定された.CW寒天平板による便培養において,一晩嫌気培養後,多数を占めた種々の形態の菌に混ざり,乳白色の不定形なコロニーが1平板あたり数個観察された.本菌はリパーゼ反応陰性である点がボツリヌス菌と異なっていた.
また,遺伝子学的検査において,E型ボツリヌス毒素産生遺伝子,同毒素関連遺伝子保有に加え, C. butyricum の16S rDNA保有も確認された.これらの成績から,本菌はE型ボツリヌス毒素産生性 C. butyricum と同定された.その後の病日の便培養において本菌は,41病日のふん便からも分離されたが,71及び72病日のふん便では陰性であった.患児は42病日に病状が改善し退院したが,2005年12月(1歳9ヶ月)に至っても未だ自立歩行ができない状態である.
感染源追及のため,離乳食等の食品6件,居室塵埃2件,自宅周辺の土壌9件,患児が使用したほ乳瓶,自宅床等の拭き取り20件について検査したが,感染源や汚染経路は特定できなかった.しかし,2005年2月22日採取の風呂の排水口の拭き取り検体からE型毒素産生性 C. butyricum が分離された.本菌株と患児株は,パルスフィールドゲル電気泳動法による遺伝子解析により同一泳動パターンを示したことから,患児から排出された菌が風呂の排水口に生残していたものと推定された.
上記のように,本症はE型ボツリヌス毒素産生性 C. butyricum による本邦初の乳児ボツリヌス症である.諸外国の報告にもあるように本菌による症例は非常には稀ではあるが,わが国においても今回確認されたことから,乳児ボツリヌス症が疑われる際には,ボツリヌス菌以外の Clostridium 属菌による可能性も考慮して検査を進める必要があろう.
分離されたE型ボツリヌス毒素産生性Clostridium butyricum の性状
本症例分離株 | 標準株 | |||||
患児ふん便 | 風呂の 排水口 |
C.butyricum ATCC19398 |
C.botulinum Iwanai |
|||
3病日 | 5病日 | 41病日 | ||||
リパーゼ | - | - | - | - | - | + |
ボツリヌス毒素産生性(マウス中和法) | +(E型) | +(E型) | +(E型) | +(E型) | - | +(E型) |
E型ボツリヌス毒素産生遺伝子 | + | + | + | + | - | + |
E型ボツリヌス毒素関連遺伝子( orf X1, p 47) | + | + | + | + | - | + |
C.butyricum 16S rDNA | + | + | + | + | + | - |
標準株との特徴的な差異がある性状のみを示した.