都内のブタにおける日本脳炎ウイルス感染状況(1996年8月〜2006年3月)
(第27巻10号 2006年10月)
わが国における日本脳炎は,ワクチン接種が開始される1967年以前には年間1千人の患者が報告されていたが,近年では10人未満と激減している.しかしながら,日本脳炎は発症すると重篤な脳炎症状を呈し,精神障害や運動障害などの重い後遺症を残す感染症であり,一方で ,2002年には髄膜炎症状のみを呈した非定型患者から日本脳炎ウイルスが検出されており,未だ公衆衛生上の重要な感染症のひとつとなっている.
当センターでは,日本脳炎ウイルスの感染環が「ブタ」と「コガタアカイエカ」間であることに着目して,1962年からブタの抗体保有調査を実施してきた.1965年には,厚生省(現:厚生労働省)の所管事業である「伝染病流行予測調査事業(現:感染症流行予測調査事業)として,感受性調査(ヒトの抗体保有調査)と感染源調査(ブタ抗体保有調査)が開始された.ここでは1996年8月から2006年3月までのブタの抗体保有状況と,2005年にブタ血清から分離した日本脳炎ウイルス(2株)の遺伝子解析結果について報告する.
調査は,東京都芝浦食肉衛生検査所八王子支所の協力によって日本脳炎の流行期である夏期を中心に採取されたブタ血清(1,000件/年)を対象として、日本脳炎ウイルスNakayama株及びJaGAr 01株に対するHI抗体検査ならびに2-メルカプトエタノール(以下2ME)感受性抗体の検出により感染初期を示すIgM抗体の確認を行うと共に,「乳飲みマウス」を用いたウイルス分離を行った.
1996年から10年間のブタ血清における日本脳炎ウイルスに対する抗体保有状況の概要を図1に示した.2005年以外におけるHI抗体保有率は,1998年10月に22%及び24%を示しているものの,それ以外では0〜10%と低い値で推移している.特に,2002〜2004年においては抗体保有率が低いだけでなく,2ME感受性抗体も検出されず,東京都における日本脳炎ウイルスの侵淫度の低さを示唆する調査結果が続いていた.しかしながら,2005年では,高い抗体保有率を示し,更に2ME感受性抗体が2か月に亘って検出された(図1の拡大図).すなわち,2005年において,初めて抗体が検出されたのは9月2日の血清(4%)からであり,次いで9日の血清(4%)では抗体が検出されると共に2ME感受性抗体も検出された.これ以降,抗体保有率は,9月16日10%,9月30日40%,10月7日50%と上昇し,10月28日にピークである74%に達した.感染初期を示す2ME感受性抗体については,9月9日から10月21日まで検出され,保有率は9月9日4%,9月16日8%,9月30日18%と上昇し,10月7日にピークである34%を示した.それ以降,10月14日には保有率は24%と減少し,10月21日まで確認された.これらの結果から,2005年の流行時期は2ME感受性抗体が確認された9月から10月であると推察された.調査対象としたブタは,全てが生後6か月程度であることから,過去における感染でなく,2005年内のウイルス感染によって抗体を保有したと考えられた.
ブタ血清からウイルス分離を試みた結果,9月9日及び10月21日に採取された血清から1株づつ,計2株(Sw/Tokyo/373/2005,Sw/Tokyo/602/2005)を分離した.これら分離株について,ダイレクトシークエンス法によるエンベロープ領域500 bpにおける系統樹解析を行った結果,図2のように2株のウイルスは100%相同性を示し,遺伝子型はⅠ型に属していた.これらウイルスをNCBIのデータベース上の登録株と比較すると,2004年に香川県及び三重県で分離されたウイルス(Sw/Kagawa/35/2004株,Sw/Mie/34/2004株)に99.6%と最も高い相同性を示した.また,1994年にブタ血清から分離され,わが国で初の報告例となったⅠ型(Sw/Tokyo/1/1994株:JaTan 1/94株)と今回の分離株との相同性は97.0%であった.
これまで,国内における流行ウイルスの遺伝子型は Ⅲ型が主流であったが,1990年代前半から近隣諸国の流行型であったⅠ型が国内でも分離され始めており,現在ではブタ血清から分離されたウイルスの主流はⅠ型となっている.しかしながら,桑山らは2002年に無菌性髄膜炎患者の髄液からⅠ型及びⅢ型の遺伝子を検出しており(Kuwayama, M., et al.: Emerg. Infect. Dis., 11(3), 2005.),流行するウイルス遺伝子型の動向についても継続して監視する必要がある.更に日本脳炎ワクチン接種者が急性散在性脳脊髄炎(ADEM)を発病したことから,ワクチン接種の積極的勧奨が差し控えられているが,現行のワクチン株はⅢ型のBeijin-1株である.現状のようなI型主流の傾向が今後も継続されるようであるならば,感受性調査において同遺伝子型ウイルスを用いた抗体検査を追加する必要があると考える.
今後とも流行予測調査事業等によるウイルス側及び宿主(ヒト)側双方における監視体制の継続と強化が必要であろう.
図1 ブタ血清における日本脳炎ウイルスに対する抗体保有率の推移(1996年8月〜2006年3月)
図2 日本脳炎ウイルス分離株のE領域(500bp)における遺伝子系統樹
微生物部 ウイルス研究科