塩基配列解析法を利用した食品汚染真菌の同定について(第28巻、3号)
2007年3月
食品を対象とした微生物による危害を制御するには、汚染菌を正確に同定することが重要である。現在、真菌の同定は、被検菌の形態的特徴や炭水化物等の利用能など、菌が保有する各種の表現性状を指標にした方法が一般的に用いられている。しかし、これらの方法では、専門的な知識・技術と長時間の培養が必要であり、汚染菌が死滅している場合では、同定が極めて困難となる。このような問題を解決する方法として、近年、遺伝子を用いた分子生物学的な手法が取り入れられるようになってきた。
分子生物学的手法のうち、塩基配列解析法による微生物の同定では、rDNA (rRNA遺伝子)が広く用いられている。rDNAは、ゲノム当たりのコピー数が多いために核酸の増幅効率が良いことや、保存領域に共通プライマーを設定できること、全ての生物に共通して存在するために生物種間の進化関係を比較することができるなどの特徴がある。また、菌種同定に必要なデータベースも蓄積されている。今回はrDNAのうち、変異(塩基置換)速度が遅いサブユニット領域であるLSUと、サブユニットに比べて変異速度が速いスペーサー領域を含むITS1の2領域を対象にした解析により、真菌を同定した事例を紹介する。塩基配列解析を用いた真菌の同定方法の概略は、以下のとおりである。
菌体からDNAを抽出した後、目的とするDNA領域(LSU及びITS1)をPCR法で増幅し、得られたPCR産物を精製した後、ダイレクトシ−クエンス法により、塩基配列の決定を行った。次いで、GenBank/EMBL/DDBJから公表されている塩基配列情報をBLAST ( basic local alignment search tool ) により比較する相同性解析法を用いて菌種を決定した。
表に示した事例①は、光学顕微鏡で調べた結果、もろみ酢中に酵母様真菌を確認したが既に死滅しており、形態観察以外の表現性試験を実施することができなかった事例である。塩基配列解析を行った結果、 Hanseniaspora 属菌の H.uvarum グループ菌と同定された。本菌は揮発性脂肪酸を生成する性状を有しており、この性状が異臭発生の原因であったと考えられた。
事例②から⑤は、市販酵母同定用キットでは同定が困難で、塩基配列解析が有用であることが確認された事例である。市販同定キットによる同定が不可能であった原因は、キットが対象にしている菌種が、臨床検体から高率に分離される株に偏っているため、食品から分離されるような環境由来の酵母を網羅しきれていないためである。各事例において、塩基配列解析から同定された酵母の性状は、苦情内容と一致していたことから、これらが苦情の原因であることが推定された。
事例⑥及び⑦は、非定型的な菌が分離された事例である。事例⑥の口腔内の痺れを訴えたワインからは、遅発育酵母用真菌が分離され、ビール酵母である Saccharomyces cerevisiae と判明し、製造工程での混入が考えられた。また、事例⑦の異物が認められたミネラルウォーターからは、胞子未形成の糸状菌が分離された。この異物は、黒色線菌である Exophiala salmonis の菌塊であることが明らかとなった。両菌とも通常の表現性状試験が行えない非定型菌であり、このような菌株を同定するには、通常、多大な労力と時間がかかるが、塩基配列解析の利用により、迅速かつ正確な同定が可能となった。
事例⑧及び⑨の異臭を呈した苦情食品から分離された Hanseniaspora 属菌は、表現性状試験では菌種レベルに分けることができなかった。塩基配列解析法を用いることにより、異臭の原因は麺つゆでは H. meyeri 、惣菜では H. pseudoguilliermondii と菌種レベルまで同定可能であった。また事例⑩は、表現性状試験が適切に行われた場合、塩基配列解析の同定結果と一致することを示した事例であり、塩基配列解析が確認試験としても有用であることが示された。
このように、食品苦情事例由来真菌の同定に塩基配列解析を利用することにより、既存の表現性状試験では同定が困難であった真菌についても、迅速かつ正確な菌種の決定が可能である。特に、死滅菌や形態的な特徴が乏しい酵母用真菌及び非定型菌の同定などに有用な方法である。さらに、その同定結果から、系統的な苦情原因の推定を行うことも可能である。今後、真菌の同定において、塩基配列解析の有用性はさらに高まるものと考えられる。
表.塩基配列解析法を利用した食品苦情由来の真菌同定結果
事例 | 食品 | 苦情内容 | 表現性状による同定結果 | 塩基配列解析による同定結果 |
① | もろみ酢 | 異臭・発泡 | 同定不明 (死滅による) |
Hanseniaspora sp.
(H.uvarumグループ菌) |
② | 果物シロップ漬け | 異臭 | 同定不明 (同定確率低値による) |
Candida intermedia |
③ | 味付もずく | 異物 | 同定不明 (同定確率低値による) |
Pichia. Membranifaciens (産膜酵母) |
④ | 蜂蜜漬け果実 | 異臭・膨張 | 同定不明 (同定確率低値による) |
Zygosaccharomyces bisporus |
⑤ | ジャム | 異物 | 同定不明 (同定確率低値による) |
Candida zeylanoides |
⑥ | ワイン | 口腔内の痺れ | 遅発育酵母様真菌 | Saccharomyces cerevisiae (ビール酵母) |
⑦ | ナチュラルミネラル ウォーター |
異物 | 胞子未形成糸状菌 (黒色線菌) |
Exophiala salmonis (黒色線菌) |
⑧ | 麺つゆ | 異臭 | Hanseniaspora uvarum | Hanseniaspora meyeri
(H.uvarumグループ菌) |
⑨ | 惣菜 | 異臭 | Hanseniaspora guilliermondii | Hanseniaspora pseudoguilliermondii
(H. guilliermondiiグループ菌) |
⑩ | 惣菜 | 異臭 | Candida famata | Debaryomyces hansenii
(Candida famata) |